娘が小学校4年生になった時、学校で「自主学習ノート」という宿題がはじまりました。「全国学力テスト」で1位となった秋田県での取り組みを、マネしたものと思われます。まぁ、これが中学受験生にとっては地獄のような課題なのです。
・毎日2~4ページ自主学習をノートにやる。
・通信教育のコピーや塾で習ったことは不可。
・調べものをして考察する内容であること。
・計算や漢字などは、自主学習とは認めない。
・A~Dの評価を付けられる。
・家庭学習なので学校でやることは禁止。
でも、ちょっと待ってください。これって、書店も塾もない秋田の村で取り組んだ学習方法だから活きたことなんじゃないですかね?首都圏の子供たちと、秋田の子供たちに同じことをさせても、成果があるとは思えない・・・。そもそも、探究型授業に力を入れている秋田県とは根本的な違いがあるのに、表面的なことだけマネして、何の意味があるのでしょうか。
先生たちは、やる気満々で導入したようですが、正直、保護者はみんな冷めていました。だって今の子供たちって、中学受験する子に限らず、クラブチームで夜遅くまでサッカーを頑張ってる子や、コンクールに出るために毎日何時間もピアノを練習している子、通信教育でかなりの勉強量をこなしている子、両親共働きで弟妹の面倒をみたり家事をこなしたりしている子など、本当にみんな忙しいのです。
そんな中でのこの「自主学習ノート」。もちろんその他に漢字練習や音読、算数ドリルなどの通常の宿題も課されているので異常なほど学校の宿題に時間がかかってしまう訳です。
睡眠時間を削ってまで、毎日深夜に学校の宿題をこなすことは、もう虐待としか思えませんでした。
このままでは娘が倒れてしまう。何とか打開する方法を考えました。中学受験を理由に、先生に「宿題を免除して欲しい」とは言えません。(無駄に喧嘩を売って先生を敵に回しても、こちらには何のメリットもありません。)
なので、「評価は気にせず、宿題の体裁だけ整える」というところに逃げ道を作りました。自主学習のネタは私が予め準備しておき、なるべく大きな字で書くようにしてページ数を稼ぐ。塾に行く前の合間に、おやつを食べながらサクッと10分くらいで書き(写し)上げるのです。先生には手抜きが伝わっていたと思いますが、有難いことに、直接注意をしてくることはありませんでした。
中学受験経験者の先生は、理解のある方が多いですね。
息子が6年生の時の担任は、「A君(息子)の場合、家庭学習は充分身についていると思うので、自主学習ノートはやらなくても良いですよ。」と神対応。
授業中に寝てしまったB君に対しては(この子は開成に進学しました)、「B君は今、夢に向かってすごく頑張っているんだよ。だからソッとしておいてあげようね。」とクラスのみんなを諭したそうです。
日本の教育は何でも一辺倒に行いたがる風潮がありますが、その子の状況を見極めて判断できる、本当に指導力のある先生だなと思いました。
分かっているんですよ。先生方も生徒たちのために色々考えてくださっているということは。でもね、「自主学習ノート」は本当に大変だったんです!!!この宿題、今でもあるのかな?せめて学校で宿題を済ませることを黙認していただきたいわ。もちろん、休み時間に校庭で遊んだり、友達と交流することも大事だけれど、限りある1日の時間をどう使うかは子供たちの個々の裁量に任せてみてはいかがでしょうか?
ねぇ?ダメですか?